マイベストno.1いつ恋『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』

1月期の連続ドラマの初回がすべて終了した時点で、

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(フジテレビ、月曜午後9時)と書いた。この考えは各作品の放送が中盤に差し掛かった現時点でも変わっていない。

視聴率は10%前後を行ったり来たりで、高水準とは言い難い。だが、質は図抜けて高いと思い続けている。脚本を担当している坂元祐二氏(48)は秀作ばかり書いてきた人だが、この作品は珠玉と言ってもいいだろう。

「作風が暗い」との指摘もあり、それが高視聴率に結びつかない一因とされている。しかし、世知辛い時代を生きる今の若者たちの姿をリアルに描こうとする作品なのだから、作風がダークになるのはやむを得ないだろう。明るく描いたら、嘘になってしまう。

貧困を強いられる若者は増えるばかりだし、若者の間での格差も広がっている。年収1000万円を得ている社会人は全体の僅か3%強に過ぎないが、きらびやかな日々を送れている若者の割合はそれ以下だろう。

ドラマが現実の一部を切り取ろうとすれば、『いつ恋』のような物語になる。上京から間もない若者たちが港区内でリッチでハッピーに暮らすような作品はお伽話だ。

今より貧しかったが、格差はそれほどでもなかった時代に撮られた黒澤明監督や小津安二郎監督の映画にもダークな作風が少なくなかった。やはり現実の一部を切り取っていたからだ。

耳障りな真実より耳心地の良い嘘を好む人は少なくない。だが、ドラマにもそれが求められたら、リアルな作品はつくれなくなってしまう。


断言しよう、『いつ恋』は月9史上に残る名作だ! その徹底的なリアリティと若き役者たちの名演に酔う

リアルを描くからダークな作風になる


フジテレビHPより


社会派色のある野心的な月9

有村架純(22)が扮する「杉原音」と高良健吾(28)が演じる「曽田練」の両主人公は、東京でつましい暮らしを送っていた。苦労も強いられた。それは、地方から上京した多くの若者の現実に近いはず。2人は高卒組だが、大学進学者でも奨学金貸与者は約135万人(全国)に膨れ上がっているのだから。

出会った時期が悪かったこともあり、2人の恋愛はつまずき続けたが、これも世間ではよくある話。苦い恋は大抵の人が経験しているのだから、月9が描く恋愛が甘美なものでなくても良いはずだ。

ニュースですら十分に伝えない現代社会の問題点を物語に盛り込み、見る側に対して「これで良いのか?」と暗に問い掛けているのも『いつ恋』の特色である。これも作風が暗く見える一因かもしれないが、ときには社会派色のある月9があったって良いだろう。

描かれている現代社会の問題点の一つは、杉原音が働く高齢者施設問題。日本の後期高齢者(75歳以上)は1000万人を超え、介護職従事者へのニーズや期待は高まる一方なのに、介護職の待遇は決して良いとは言えない。音も低賃金で過酷な労働を強いられている。まるで消耗品扱いだ。

物語の中で利益を独占しているのは施設経営者の井吹征二郎(小日向文世)。介護を金儲けの道具としか考えていない偽善の人である。汗が報われにくい今の社会は正しいのだろうか?

一方、曽田練は郷里の福島県会津に住む祖父・健二(田中泯)が騙し取られた農地を取り戻すため、東京で金を稼ごうとしていたが、こちらも苦しい暮らしを強いられていた。運送会社で愚直に働いていたものの、生活するだけで精いっぱい。これもまた現実の一部に違いない。

職業に貴賎はないはずなのに、ハゲタカファンドなどに勤務する高学歴の若者の一部は、数千万円の年収を得ている。練は心根の優しい男だが、優しさは現代社会においては1円の金にもならない。力仕事も大金には結びつかず、知恵あるクールな人間ほど富を得られやすい。これも正しいのだろうか?

坂元氏は、「暗い」という指摘を受けるのも分かった上で、これまでにない月9にしようとしているのだろう。それは、ヒロインを高齢者施設で働かせたことだけでも分かる。

高齢者施設は全国で1万施設以上あり、介護職従事者は約150万人もいるが、連ドラのヒロインになるのは初めて。視聴率だけを狙ったら、こんな設定にはしない

『いつ恋』は野心的な月9とも言える。そのせいか筆者の周囲にいる普段は月9を見ない中高年層の間での評判がすこぶる良い。

メーンターゲットの若年層ではないので、関係者にはありがたくない話だろうが、中高年層が目を奪われ、讃えている。敏腕編集者、世の中の表と裏を知り尽くした事件記者、時事問題と向き合い続けている報道番組ディレクター・・・。

物語に訴求力がある上、今という時代の真実が散りばめられているからだろう。子供騙しの作品とは違う。また、両主人公が味わっている東京での焦躁は大抵の中高年齢者も過去に経験したことだ。

高良健吾の演技は世界で通用するだろう

役者も良い。まず、音に扮する有村は、東京の冷たさに負けまいとする女性を全身で体現している。忍耐強いが、脆い一面もある音の人間性を余すところなく伝えている。セリフや大きな仕草に頼らない演技が好感を抱かせる。

練に扮する高良はもともと高い評価を得てきた役者だが、今回の演技も出色。あまりのうまさにゾッとする場面すらある。たとえば、5話の終盤だ。

錬が上京から5年ぶりに唯一の肉親である祖父・健二と再会し、2人は昔のように祖父と孫の穏やかな会話をするのだが、老いから健二が立ち上がれない姿を目の当たりにした練は僅かにうろたえる。それまで健二を1人にしておいた悔いまで表れているように見えた。高良の演技がうまいからにほかならない。

そして、やっと立ち上がった健二がよろよろと歩くと、その姿を練は愛おしさと不安が入り交じった目で見つめた。その目は演技の域を超え、まるで本当の肉親への眼差しに映った。

たぶん、高良という若き名優は、やがて渡辺謙(56)のように世界へ羽ばたいていくだろう。刮目すべき役者である。

若き名優たちの才能が開花

両主人公を取り巻く周囲の若者たちもリアル。坂元氏の描写力が優れ、その人物像をそれぞれ役者が的確に再現しているからだ。

練の後輩・市村小夏(森川葵)は、デザイナーを目指して上京したはずなのに、怪しげなアルバイトに手を出す。金持ちのカラオケに同伴するだけで10万円を得る。胡散臭いモデル事務所の誘いにまで乗りそうになった。

いつの間にか東京で華やかな暮らしを送ることが目的化する小夏。昔から練に思いを寄せ続けていたのだが、上京で環境が一変したことによって、その思いを理性で抑えることも出来なくなってしまった。両主人公の行く末はもちろん気になるが、小夏の今後にも興味が尽きない。森川の真摯な演技によって、小夏は画面内で生命を持った。

練の悪友・中條晴太(坂口健太郎)も坂口の素直な演技で生々しさを得ている。晴太のような若者もまた現実の一部だろう。自由人を気取り、飄々と生きているように振る舞い、何事にも本気にならない。

本気にならないのは、たぶん、そうすることが怖いからだ。本気になってしまうと、自分の身の丈から目を背けることが出来なくなる。

晴太は小夏のデザイナーとしての才能を否定した上で、訳知り顔でこう語った。

「東京は夢を叶えるための場所じゃないよ。東京は夢が叶わなかったことに気づかずにいられる場所だよ」

これは坂元氏からのストレートなメッセージではなく、逆説に近い言葉に違いない。晴太のように本気にならない人間が夢をかなえられるはずがない。夢を語る資格すらない。晴太の未来もどうなるのか気になる。どうやら晴太が練を悪の道に引きずり込む展開になりそうだ。

5話のラストで練は豹変していた。音と東京で過ごしていたころから5年が過ぎた。青春期の5年は途方もなく長い上、その間には郷里を襲った東日本大震災があった。衰えていた祖父・健二の生死は分からない。東京で経験した苦労と災害、そして東京で知り合った悪友の存在が、練から純粋さを奪うらしい。これとて現実離れした話ではない。

高齢者施設経営者・井吹征二郎の息子で音に惹かれる井吹朝陽(西島隆弘)、音の恋敵である日向木穂子(高畑充希)の姿もそれぞれリアル。やはり坂元氏の脚本と2人の役者の演技が良いからだ。この作品にはブレーキになってしまっている役者が見当たらない。

人間の「陽」と「陰」を描く

最後にあえて書いておきたいのが、練の運送会社の先輩である30男の「佐引さん」こと佐引穣次(高橋一生)の存在である。主要登場人物ではないが、隠れたキーパーソンと呼べるだろう。

仕事はいい加減。それでいて先輩風を吹かし、練に威張りまくる。だが、親分肌な一面もあり、どこか憎めない。ときに淋しそうな目もする。

ミュージシャンだが、とっくに挫折している。その上、離婚も経験し、子供を手元から引き離された。だから、夢や希望を持つことが許される錬ら若者たちを嫌悪しているようだが、それでいて練に温かい一面を見せることもある。矛盾する行為だが、練に自分の過去を感じるためだろう。やはりリアリティーに満ちた人物だ。

佐引は矛盾を内包しているだけでなく、複雑でもある。プライドが高いが、仕事をスムーズに進めるためには土下座もする。軽口ばかり叩くが、ときには人生哲学めいた言葉も口にする。ドラマではあまりお目にかかれない人物だが、本物の人間も矛盾を抱え、複雑だ。凡庸なドラマの薄っぺらな登場人物とは違う。

佐引という人物像の描き方にも坂元氏の才能と個性が見え隠れするが、演じている高橋も見事。1人の人間の中に混在する「陽」と「陰」を巧みに表している。

高橋は同じ坂元作品である『Woman』(日本テレビ)では主人公・小春を支える医師、『軍師勘兵衛』(NHK)では官兵衛の家臣・井上九郎右衛門をそれぞれ好演した。今後の佐引役も楽しみだ。

さて、どんな結末になるのかは見当も付かないが、バッドエンドで終わる月9があっても良いのではないか。

世間もハッピーな人ばかりではない。黒澤映画や小津映画にもバッドエンドの作品があるのは知られている通り。両巨匠は観客に媚びず、代わりに数々の名作を遺した。

 


現代ビジネス引用